死とはいったいなんなのか?
はるちゃんのブログでとある写真を見つけた。
笑顔が素敵可愛くてスレンダーな美しい女性。
名前は女豹ちゃんという。
どんな女性なのかと読み進めて声を失った。
彼女は自ら命を絶ったのである。
愚かな私はこう考える。
女性が美しさを纏ってこの世に生を受けた時
凡人に比べ悩みは半分になり、幸せは2倍になると。
美しさを持って生まれ、やさしい彼氏もいた彼女。
その彼女がなぜ自ら命を絶つことになったのか?
「はるちゃん」 が はるちゃんなりに思いを記事にしている。
シレジウスという詩人がある詩を残している。
薔薇はなぜという理由もなく咲いている
薔薇はただ咲くべく咲いている
薔薇は自分自身を気にしない
人が見ているかどうかも問題にしない
彼女も薔薇も共に美しい。
彼女がもし薔薇のように生きていたら
今もはじけるような笑顔で多くの人を幸せにしていただろうか?
かつて死よりも恥を恐れる人々がいた。
彼らにとって、最も恐ろしいのは死ではなく恥であった。
成人の男性だけでなく女性や子供までも
恥辱にまみれて生きるより、誇り高い死を選んだ。
私は自分の愛する人・大切に想う人たちを失うことが何より恐ろしい。
自分の死も大切な人と会えなくなってしまうのでやはり恐ろしい。
心臓が不整脈を起こすのが恐ろしいのではない。
不整脈によって死ぬことが恐ろしいのだ。
例えどんなことがあろうと自ら命を絶つことはできない。
自ら命を絶つ
これほど勇気が必要なことが他にあるだろうか?
ない、絶対にない。
死ぬ気になれば何でもできる。
人の生き死には運命だ。
マキャベリはこのような言葉を残している。
運命は我々の行為の半分を支配し、他の半分を我々自身に委ねる
死ぬ運命にある人は自ら死を選ぶ道を行く。
荒天が予想される日に冬山に向かい遭難死する人があとを絶たない。
このニュースを聞いた人の99%は、
この天気じゃ死ににいくようなものだ・・・と思う。
普通の感覚であれば、出かけるのを延期するだろう。
なぜ それができないか、私にはものすごく不思議なことであるが、
その理由は簡単に説明できる。
彼らは出かける時点で半分死ぬ運命にあるからだ。
残りの半分はおのれ次第。
嫌な予感でも、合理的な判断でも、気が乗らなくなったでも、理由は何でもいい。
行くのを止めようと思うこと。
その瞬間、死ぬ運命だったその人は、死なない運命になった。
これは実に便利な考え方だ。
全ての亡くなった人が亡くなった理由を、簡潔に完璧に説明できるからである。
ゆえに、これは真理だ。
銀河英雄伝説での一コマ
ユリアンがヤンにこう聞いた。
ユリアン 「人は誰でも自分の死に予感を覚えるといいますが」
ヤン 「ユリアン、一度も死んだことのないヤツが、それについて偉そうに語っている
のを信じるのかい?」
さすがはヤン・ウェンリー、いいことを言う。
これもまた真理である。
私の友人が自ら命を絶つ運命を選択した。
どう考えても生き残れる状態でなかった
どう考えても体に障害が残るような悲惨な状況だった
それでも彼は死なず、後遺症も残らなかった。
彼はそういう運命の持ち主であったからだ。
死とは運命と選択の結果なのである。
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